鎌倉街道は中世において鎌倉から関東諸国をとおり信濃や越後、そして陸奥などの地方を結ぶ交通路で、いわゆる鎌倉幕府の御家人が「いざ、鎌倉」と馳せ参じた道です。鎌倉街道には「上道」「中道」「下道」の三つの道がありました。
「上道」は化粧坂を通る道筋です。鎌倉を出た後、境川沿いを北上し多摩丘陵を越え武蔵国府(府中)に至り、その後武蔵野台地から比企丘陵をぬけ群馬県の藤岡に入り高崎付近に出ます。
「中道」は亀ヶ谷坂を通る道筋です。鎌倉を出た後、大船、横浜市の戸塚あたりを通り、鶴峰、中山、荏田、 二子玉川、渋谷、新宿、王子、岩淵(赤羽)、旧入間川を渡り川口、鳩ヶ谷、大門、岩槻、幸手、栗橋、利根川を渡り古河を経て奥州へ向かいます。また、赤羽から幸手の間は日光御成街道として使用されていました。
「下道」は朝比奈切通しを通る道筋です。金沢を通り都内・千葉県を東京湾沿いに下総国府方面に向かいその後常陸の国へと繋がっていたようです。
「上道」
日程 | 日付 | 宿場 | 歩数 | 距離 |
一日目 | 12月01日 | 鎌倉~町田 | 55,970歩 | 39.2km |
二日目 | 12月25日 | 町田~所沢 | 53,841歩 | 37.7km |
三日目 | 02月05日 | 所沢~西大家 | 42,798歩 | 30.0km |
四日目 | 02月08日 | 西大家~用土 | 58,319歩 | 40.8km |
五日目 | 03月02日 | 用土~高崎 | 58,306歩 | 40.8km |
「中道」
日程 | 日付 | 宿場 | 歩数 | 距離 |
一日目 | 12月02日 | 鎌倉~中山 | 48,349歩 | 33.8km |
二日目 | 12月13日 | 中山~中野 | 48,273歩 | 33.8km |
三日目 | 12月28日 | 中野~東川口 | 40,225歩 | 28.2km |
四日目 | 01月06日 | 東川口~幸手 | 49.957歩 | 35.0km |
「下道」
鎌倉街道山ノ道は鎌倉街道上道の町田から高尾、軍畑、妻坂峠を経て秩父に至る道です。秩父鎌倉道、秩父道とも呼ばれています。鎌倉街道のようでもあり秩父往還のようでもあります。
妻坂峠の地名の由来は、畠山重忠が鎌倉に出仕するとき、その妻がいつもこの峠まで見送ってくれたから、だそうだ。また、1572年にはあの上杉謙信もこの峠を越えている。その当時は「妻坂」ではなくて「都麻坂」と表記していたそうです。
鎌倉街道山ノ道の日程を以下に示します。
日程 | 日付 | 宿場 | 歩数 | 距離 |
一日目 | 11月03日 | 町田~武蔵増戸 | 57,000歩 | 39.85km |
二日目 | 11月07日 | 武蔵増戸~名郷 | 42,000歩 | 29.64km |
三日目 | 12月02日 | 名郷~秩父 | 20,000歩 | 13.87km |
2014年その他鎌倉街道(箱根路)の日程を以下に示します。
日程 | 日付 | 宿場 | 歩数 | 距離 |
碓氷道 | 12月07日 | 大雄山~御殿場 | 41,200歩 | 28.86km |
足柄道 | 01月22日 | 大雄山~御殿場 | 43,898歩 | 26.31km |
湯坂道 | 11月23日 | 湯本~元箱根 | 17,500歩 | 12.26km |
推定道 | 11月30日 | 箱根峠~三島 | 19,600歩 | 13.71km |